お悩み相談、年齢を忘れる、は笑い話でしたが、本物の悩みがあります。うちの左隣に20年ほど
引きこもっている娘さんがおられます。私のピアノの音で警察に通報した人です。 
 その方が早朝から深夜まで咳をされるのですが、その音が爆音で、我が家はノイローゼ気味です。
うちの母が泊まりにきて、「よく辛抱できるね、転居した方がよい」というほどの音量です。
この種の悩みは世間に多いようですが、最近は咳の幻聴まで聞こえるようになりました。
転居となると大ごとですし、佐久間さんならどうされますか。
(今も耳栓をしてメールを打っています。おそらく解決策はお引越しですよね。)

 これは難しい相談ですね。相談主さんは広い心を持ってかなり我慢されているんだと思います。でも限度があると言うことですよね。騒音になるかどうかは、音の種類、程度、時間、頻度などいろんな要素で変わりますし、音を出す人、動物、工場などとの関係にもよりますよね。お隣の方とは、音のことで人間関係も少しこじれてしまっていて、こちらはピアノを遠慮しているのに・・・、という気持ちが悩みを大きくしているように思います。

 解決策にはならないと思いますが、音にまつわるインドネシアでの出来事を書いてみます。

 留学中、有名な絵描きの大きな別宅に何人かでシェアして住んでいたことがあります。官庁街にあったため付近には住宅はなく、隣は火山学の研究所でした。私の部屋は2階の角部屋で、研究所の入り口にあるガードマンの小屋がすぐ横にありました。ガードマンたちは、夜更けまでおしゃべりしたり、カードゲームをしたりしていました。私は家の防犯にもなるし、仲良くなっておこうと、バリ土産のピーナツを持って行ったりしていました。

 メンバーが変わったのか、幾晩か夜更けまで大音量でダンドゥットという大衆歌謡がかかる日が続きました。同居人がいくらなんでもうるさいんじゃない、ちょっとなんとか言って来てよと言うので、詰所に行ってみました。

「スラマッ マラム! すみません、ちょっと音を小さくできますか?」

と言うと、

「トゥリマカシ!」

と勢いよく返事をして、音を下げてくれました。私と同居人は、なんでありがとうやねんと不思議に思いました。言いにくいのに言ってくれたからだろう、と後日別のジャワ人が解説してくれました。

 同じ頃、田舎にあるガムランの先生の家で村人のガムラン練習があるというので遊びに行きました。庭にはランブータンの木があり実がたわわになっていました。玄関の横に巨大なPAシステムが組んであり、夜8時からガムランの練習が始まると、大音量のガムランがスピーカから流れ始めました。練習なのにどうしてなのかと先生に聞くと、自分たちだけで聞くのはもったいないと説明してくれました。

 ああ、そうだったのかと思い出すことがあります。ジャワの路地を歩くと聞こえるテレビの音です。狭い部屋で寝っ転がって見ているのになぜだろう。耳が悪いのだろうか、音に対するデリカシーがないのだろうか、と思っていましたが、隣近所に聞かせるためにサービスで大音量にしていたのです。テレビを独り占めにしていると思われたくないのでしょう。テレビが珍しかった頃の最後の名残りみたいなものだったのでしょう。

 ジャワ人は、音に対してデリケートでもあります。日本人の私が食器を洗っているとガチャガチャうるさいと言います。バティックの布地をたたむ時に勢いつけてパン!といわせると眉をひそめます。踊りの練習をしているプンドポ(伝統的な集会所)へバイクで行くときは、10メートル以上前からエンジンを切って潜水艦のように近づいて行きます。ものが壊れないように、目立ちたくないようにという意味もあるでしょう。

 さて、悩みに戻りましょう。思い切って声をかけに行くのもいいかもしれません。ありがとうと言ってくれるかもしれません。咳にも、なんらかのメッセージがあるようにも思います。これを解決する糸口がつかめるかもしれません。これは悪手だと思いますが、カオスに近い即興ワークショップの時に身につけた非常手段があります。さらにカオス進めることにもなるのでおすすめはできません。それは、自分も大音量で音を鳴らしてみることです。いくらか気が楽になるし、うるさくなるのに気のせいか音も気にならなくなります。騒音主が気づいてひるむ場合もあります。しかし、張り合ってカオスが深まり、近所の人が大変な事になる可能性もあります。

 静けさを求める側と、音を自由に出したい側、どちらの側にも自分がいると考えてみましょう。その場で話し合えれば一番いいですよね。でもきっとこの場合、なかなか話し合えないんですよね。悪手から好手や妙手が生まれることもあります。咳がいい音楽に聞こえ始める・・・、ってことはないか・・・。