今から26年前のこと、1年間のイギリス留学を終え、ぼくは鍵盤ハーモニカの路上演奏で日銭を稼ぎながら、ヨーロッパを転々としていた。ギリシアに2週間ほどいた後、ドイツにたどり着き、フランクフルト、ケルン、カッセル、アイゼンナッハ、ハレなど、複数の都市を移動しながら、路上で演奏する。ストリートチルドレンたちが集まってきたこともあれば、ボンに住んでいる日本人の女の子から、日本語で一緒に喋りたいとナンパされたこともあった(ご飯をご馳走になったような記憶が)。路上では日々色々な出会いがあるのだが、ぼくが最も問題行動をした路上演奏といえば、ベルリンだ。そこは、街中、人通りが多く立ち止まって聞ける広々とした歩道だった。ぼくはいつものように、ケンハモを取り出し、演奏を始めた。するとまもなく、ぼくの演奏しているすぐ横で、南米楽団がマイクやアンプをセッティングし始めた。こんな近くで演奏されては、お互いの演奏が混ざってしまう。まして、ぼくはマイクを使っていない。向こうはバンドでマイクあり。これでは、ぼくの音が埋もれてしまう。ぼくが先に演奏していたのに、どうしてわざわざ数メートルしか離れない場所で大音量で演奏するのか!酷い!ぼくは怒った。しかし、言葉で怒っても仕方がないので、パフォーマンスで怒りをぶつけることにした。この南米楽団の演奏を自分のバックバンドだと思うことにして、自分のエネルギーを注ぎ込んで演奏してやろうと決意した。

 そもそも、ぼくは一人が主役で残りがバックバンドなどという形態の音楽を好まない。通常であれば、誰もが主役になる音楽をつくる。主役が入れ替わったり、それぞれの魅力が輝くように演奏する。でも、怒り沸騰したぼくは、全身全霊で南米楽団を脇役にして主役だけをやった。これは、ぼくにとっては超レアな演奏である。

 南米楽団の音楽が伴奏に聞こえるように、ぼくは次々にケンハモでアドリブを繰り広げた。彼らはマイクやアンプがあるから、その場所から動き回れないが、ぼくは、人目を引くように、演奏しながら動きまくった。横断歩道や中央分離帯で踊り狂ったし、叫びながらジャンプしたし、地面に寝転がり、彫刻によじ登り、あらゆる動きを駆使し、気迫を込めまくって演奏した。通行人の注目はぼくに集まり、南米楽団はぼくの伴奏にしか見えなくなった。危ない東洋人とは目を合わさないぞ、と無視して行く通行人もいたが、それでもぼくへのエールもいっぱいあり、ぼくの投げ銭箱には、次々にお金が入った。ぼくは狂乱の踊りと気迫の演奏を汗だくになりながら続けた。もう誰もぼくを止めることはできない。

 その間、南米楽団には全くお金が入らなかった。いくら演奏しても投げ銭が入らない南米楽団は、ついに白旗をあげ、ぼくに懇願してきた。どこか別のところに行って欲しいと。人が演奏しているすぐ側にセッティングしておいて、そんな勝手な言い分あるか、とも思った。でも、激しいパフォーマンスをし続けたら、怒りはどこかに行ってしまい、南米楽団が可哀想になってきた。ぼくはGood luckと声をかけて、その場を立ち去った。問題行動をやりきったおかげで、すっかり清々しい気分だったのだ。