排除に自覚的になったのは、小学校のおかげかもしれない。小学校5、6年の時は、毎時間廊下に出されて、ほとんど授業に参加することができなかった。ぼくとしては、授業に参加したくて、積極的に質問していたので、怒られる理由がわからない。しかし、ただ、質問しているだけなのに、

「野村はうるさい。廊下に出なさい。」

と言われて、廊下で正座させられるか、立たされるか。毎時間、授業に参加する権利を剥奪されて、排除されていた。いつも、最初に廊下に出されるのがぼくだったが、しばらくすると、別のクラスメイトも廊下に出される。一人が二人、二人が三人になると楽しくなる。ぼくらは廊下で箒をバットに雑巾をボールにして遊び始めた。授業に参加できない学校の廊下で手に入るものだけで、いかに楽しむかが日常だった。

 当時の担任の先生は、生徒にレッテルを貼るのが得意だった。いつも100点をとるメガネ君は優等生だったし、問題行動をするのは、野村、ノッポ、ゲンキの3人と決めつけていた。

 ある日の休み時間、クラスの男子たちが押し合いしながら誰かを女子トイレに入れようとするゲームをしていて、怪我をした。担任の先生が怒った。やっていた奴、前に出て正座しろ。ノッポの他、何人もの男子が前に出た。ぼくは、そのゲームに加わっていなかったので、この様子を傍観していた。すると、前で正座しているノッポがメガネ君に向かって言った。

「メガネ、お前もいただろう。」

いつも優等生の役を演じ続けているメガネ君が、問題行動の輪に入ることはなかった。しかし、曲がったことが嫌いなノッポが敢えて嘘をついて名指しで言うはずないので、メガネ君は遊びの輪に入っていたのだろう。

 ところが、優等生は俯いて、席を立たなかった。

「メガネ君はやっていないと言っている。先生はメガネ君を信じる。」

先生は、ノッポの言葉を信じずに、黙ってうつむく優等生を信じた。これには、ノッポだけでなく、叱られているはずのクラスメイトが逆ギレした。

「えこひいきだ。」

「メガネもやってたのに、どうして注意しないんだ。」

「野村はやってないけど、お前も先生に言いたいことあるだろう。俺たちに加われ。」

 ぼくらは先生に不満をぶちまけた。先生は教室を出て行き、教室は騒然となった。しばらくして、教頭先生が来て、

「今日は、家に帰りなさい。」

と言われた。翌朝、先生が

「先生のやり方が間違っていました。すみません。」

と頭を下げたが、その後も長年染み付いた指導方法は変わらず、ぼくは廊下に出され続けたし、メガネ君が廊下に出されることはなかった。優等生の殻を脱げなかったメガネ君は、優等生を背負って生きていくのかと思ったが、中学に入るとキャラが壊れ、変なギャグを言うようになった。豪快で破天荒だったノッポも、空気を読んで周囲に配慮するようになった。

 あの時、メガネ君は勇気を持って問題行動の輪に近づいていた。悪ガキの世界に一歩踏み入れようとしていた。ぼくらは、問題行動児として授業から排除されていたけれども、逆に悪ガキとしての連帯感も得ていた。逆に、メガネ君こそ、優等生のレッテルを貼られたことで、ぼくら悪ガキの輪に入るきっかけを失い、無意識に排除されていたのかもしれない。この小さな事件は、ぼくが排除やレッテルに敏感になる大きなきっかけだった。ノッポやメガネ君と同窓会したい。あっ、ぼくが同窓会の委員だった!

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