「評価不能」。かつてイギリスのヨーク大学教授の作曲家ジョン・ペインターは、野村誠の留学生活の前半3ヶ月を「評価不能」と報告した。それは、ぼくには最大の褒め言葉だったが、ぼくの奨学金のスポンサーにとっては大問題で、京都国際現代音楽フォーラムの藤島寛さんに随分フォローしてもらった。ぼくのイギリス留学は、どのように評価不能だったかを振り返りたい。
1994年、ヨーク大学大学院で音楽留学をすることになった際、ペインターからは修士をとることを薦められたが、ぼくは丁重にお断りした。如何なる資格も持たない単なる音楽家でいたいと思ったからだ。その要望は受け入れられ、大学院に在籍しながら試験も義務もない自由な立場になったが、ペインターはぼくの指導教授となった。初めての面談でペインターは、
「君の一年間のゴールをどこに定める?」
と質問してきた。ぼくは、
「ゴールを定めるのではなく、自分が想像できない地点を目指したい」
と答える。ペインターは、
「しかし、目的が不明瞭に闇雲に進むと最終的に元の場所に戻ってしまうかもしれないぞ。」
と言う。ぼくは、
「闇雲に進んできた結果、元の場所に戻ったとしても、色々な経験を経た上で戻った場所は同じ場所ではない。」
と答える。指導しようとする教授と、指導を受ける気がない若者の間で平行線が続いて、結局、2週間に一度、ペインターと面談し意見交換をすることだけ決めた。
それでも学内の講義やセミナーには積極的に参加した。例えば、大学院の作曲セミナーで
「ジョン・ケージは日本の仏教の考えを盗んだ。」
と問題発言をして大論争を引き起こしたりした。ぼくとしては、香港出身の作曲家のオーケストラ曲が、西洋的でアジアのアイデンティティが感じられないと批評されているのに対して、援護するつもりの発言だったのだが、イギリス人たちが捲し立てる中、拙い英語力で伝えようとすると、乱暴な表現になった。挑発的な言い方しなくてもいいのだが、アジア人がオーケストラ書いただけで、アイデンティティが感じられないと言うなら、日本の禅に影響を受けたケージのアイデンティティはどうなんだ、と問題提起したかった。それでもセミナー終了後、
「私、尺八の曲を作曲するけれども、私がルームシェアしている友人が尺八を吹くから、私にとって尺八は自分の文化の一部なの」
とイギリス人学生が声をかけてくれ、平和的に話ができたので、場を荒らしたりしても自分なりの語彙で発言していこうと思えるきっかけになった。その後も、セミナーで、挑発的な発言をすると、ペインターは「マコトが〜〜〜と言っていたが」と何度も引用し、ぼくの着眼点を面白がっているようだった。だから、ぼくは伸び伸び自由に過ごしていて、「評価不能」は寝耳に水だった。
ブリティッシュ・カウンシルは、野村誠の3ヶ月の評価をヨーク大学に書類で求め、指導教授のペインターが「評価不能」と回答した。新しい価値観を切り開くことは、最初から評価など得られないのが当然で、ペインターの「評価不能」は、野村誠に対する正当な評価だと思う。何十年と数多くの学生を指導してきたペインターが、ぼくのことを自分の物差しで測れない規格外と認識してくれたことを、嬉しくさえ思った。もちろん、ブリティッシュ・カウンシルにとっては、喜ばしい回答ではなかったが、推薦人の藤島さんがブリティッシュ・カウンシルに「野村君は大丈夫だから」と強くフォローしていただき、奨学金が打ち切られることもお咎めを食らうこともなかった。ただ、ぼくは藤島さんに悟された。
「野村くんが自由に色々動くのを制限するつもりはないし、君のことだから色々成果をあげるだろう。でも、もっとペインターさんの顔を立て、彼に解るようにコミュニケーションしなさい。ペインターさんの教えたい気持ちも組んで接しなさい。」
そうは言われても、これまでも誠実に接しコミュニケーションしてきたつもりなのだが、と途方に暮れながらも、ペインターとの対話を模索し続けた。ペインターは、徐々に野村誠をつかんできたようで、
「君がイギリスの一年間でやったことを文章に書いてみないか。」
と提案してきた。おそらく、ぼくの思考回路をなんとか理解したいと思ったのだ。ぼくも彼の問いかけに全力で応じ、ぼくがイギリスで考えたことや実践したことを、英文1万語ほどにまとめてみた。ぼくの文章を、ペインターは気に入り、ついには彼が編集長を務める学術雑誌に掲載したいと提案してきた。ぼくは大喜びで推敲をして原稿を持っていくと、
「外国人が投稿する場合は、通常ネイティブの英語になるように文章を手直しするのだけれども、マコトの文章はマコトの書いたまま掲載したいんだ。ネイティブの英語じゃない君の語り口そのままを伝えたいんだ。」
最初の3ヶ月で評価不能と判定した野村誠を丸ごと肯定し、出版の機会まで作ってくれる。日本人の使うヘンテコな英語を修正せずに、それを面白がってくれる。ペインターの器の大きさを感じた。どんな学生だって短期間接するだけでは評価不能だろう。あらゆるアートプロジェクトだって、短期間接するだけでは評価なんて不可能だ。評価を求めること自体ナンセンスかもしれない。でも、人々は便宜上の「評価」を求められ、便宜上「評価」して、やり過ごしている。ペインターは、野村誠に対して、そういう便宜上の「評価」をせずに、敢えて「評価不能」と回答してくれた。
1年の留学を終えて帰国する前、ペインターはぼくのノートに書き込んだ。
「弾んでいる時、大きな世界、ワクワクいっぱい、ルールはわずか、分析なし!弾んでない時、小さな世界、ワクワクなし、ルールいっぱい、分析ばかり!」