学生時代に結成したpou-fouは、ヴァイオリン、エレキギター、ピアノ、パーカッション、ホルンのバンドだった。最初は、即興演奏のグループとして始めたが、徐々に共同作曲に進化した。誰か一人が作曲するのではなく、誰かが仕切るわけでもなく、音を出し話し合い、また音を出し話し合い、音楽を創作していった。その結果、一人の価値観では生まれ得ないハイブリッドな音楽が生まれた。その面白さをシェアしたく、レコード会社のオーディションにpou-fouで応募した。規格外で理解されず即落選すると思ったら、テープ審査に合格し関西地区予選に出場することになった。

 オーディションの持ち時間は10分。たった10分で自分たちの魅力をどう伝えるべきか悩んだ。そもそも、デビューしたくて応募したのではない。「音楽産業が生み出す音楽なんてつまらん」と思っていた若造のぼくは、レコード会社や審査員に喧嘩を売るつもりで申し込んだ。正直、「お前たちに、ぼくらの音楽が評価できるのか?」と自分たちの音楽をぶつける意気込みしかなかった。

 ならば1曲だけで強烈にメッセージは伝えてやろうじゃないか。10分の持ち時間に対して、たったの3分半、1曲だけを演奏することに決めた。これで評価できないなら、落選で本望。ところが、渾身の演奏の後、レコード会社のディレクターが興奮して話しかけてきた。音楽業界にも夢を語れる人がいるのかと熱くなった。正直、反響があって嬉しかったのだ。

 地区予選を通過し、最終選考で東京に行けるのが嬉しかった。大学生活のいい思い出になると思った。せっかくだから、オーディションの他の出演者と友達になり、音楽仲間を増やそうと思った。ぼくにとってオーディションは競争の場ではなく交流の場だった。だから、楽屋で他のバンドに話しかけ、他のリハーサルもワクワクして全部聞いた。しかし、オーディションは売り込み(ビジネス)の場だと思っている人もいて、レコード会社に媚びた音楽に出会い、ぼくは失望した。逆に、売れる売れないなど気にせず、実直に音楽をしているバンドに出会うと心底嬉しくなった。自分の出演間際にも関わらず、舞台袖で踊りまくり笑顔で応援した。

 そして、pou-fouの最終審査の舞台で、ぼくらはちょっとした悪戯をした。プログラムに載せている曲目とは全く違う即興をやった。予定にない指揮者が舞台に登場して、バンドに向かって指揮をする。メンバーは指揮を見てデタラメに音を出す。レコード会社にとって最も商品化の難しい「音楽が生まれてくる瞬間」を、提示した。指揮による即興で大暴れし、自分たちのレパートリーも演奏し、何の賞もとらずに京都に戻って平和に暮らすつもりだったが、全く想定外なことに、pou-fouはグランプリを受賞してしまい、1ヶ月後にはテレビ番組の収録、4ヶ月後にはCDの収録となった。京都で平和に暮らしていたぼくらは、バブル無駄遣いな90年代初頭の音楽業界と突然接触し、あまりに自分たちの日常と違う世界があることに驚愕した。バブル末期のレコード業界と接触したことの反動で、ぼくは路上で人とダイレクトに交流したり、子どもと直接関わる音楽実験に踏み出すことになる。そうした興味の変化と呼応するように、バブル経済が破綻し、レコード業界との仕事は自然にフェイドアウトし、ぼくはもっと人とダイレクトに関わる音楽づくりへと邁進する。